メタファーでよくわからなくなったはなし
- 作者: George Lakoff,Mark Johnson
- 出版社/メーカー: University of Chicago Press
- 発売日: 2003/04/15
- メディア: ペーパーバック
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おひさしぶりです。
このところすっかりこの日記から遠のいておりました。
多忙ゆえです。卒論ゆえです。
しかし1週間ほど前になんとか第1稿を教授に提出しまして、ようやくこの日記をぐだぐだと書く精神的余裕が出ました。
まだ完成ではなく、これから第2稿、3稿と修正を重ねて1月下旬に提出するのですが、とりあえず現段階で18,000/20,000文字ですので勝てる計算ではあります。
一見順調そうですが、実際は非常にここまで大変でした。(そりゃ大学生はみんなそう言うかもしれないけど…)
今日は卒論で一番混乱して最終的に放棄してしまったメタファーの話をしますね。
身バレしちゃうので研究内容はあんまり詳しくは書けませんが、私は某国の国民的詩人を題材にしていました。
本国では超有名、しかし日本では今まで一作も邦訳が出されたことのない詩人です。
その詩人の詩を、あるモチーフ―ここではたとえとして「道」とします―にフォーカスして分析を行いました。
その詩人は「道」というモチーフを多用することが本国での先行研究でしばしば指摘されていたので、じゃあその「道」に詩人が込めている意味やイメージを見出そうよ、というかんじです。
で、それをどうやって分析するのか?
正直なところ、当初はどこからどのように手をつけたらいいのかさっぱりわからなかったので、まず詩やレトリックについて扱った理論書や研究書をあれこれ読みました。
最初に読んだのはこれです↓
- 作者: ジョージレイコフ,マークターナー,George Lakoff,Mark Turner,大堀俊夫
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1994/10
- メディア: 単行本
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レイコフの『詩と認知』は言語学的な観点から詩を分析しています。
第一章で「人生は旅である」「人間は植物である」「一生は一日である」といった基本的な隠喩(われわれが無意識のうちに理解できてしまう隠喩)を紹介し、それをもとにシェイクスピアなどの詩を分析していくのですが、とても鮮やかで楽しくなってしまいました。
どういうかんじかというと、
「時は盗人である」
という表現がある詩の中にあります。(出典は忘れてしまいました…)
この表現は隠喩として、すっと受け取ることができてしまいますが、ではなぜこの表現は隠喩として成り立つのでしょうか?
レイコフは以下のように、この隠喩を"基本的な隠喩"がいくつも折り重なってつくり出されたものであるとします。
- 出来事は行為である(物事はあ動作主によって引き起こされる)
- 時は変化をもたらすものである
- 生命は財産である
→『時は盗人である』
こんなかんじでですね、全部がメタファーによってぴゃーーっと解決されていく感じ、おもしろいのでおすすめです。
この一章を読んでちょっとしたメタファーブームが私の中に起こったのですが、実際にメタファー重視で詩を分析しようとすると、ものの数日でボンと壁にぶち当たりました。
簡潔に言うと、
擬人法ってなに…???
という疑問がムクムク湧いてきたのです。
擬人法はメタファーの中でも特に名高い技法で、小学生でも知ってますね。
でも実際、どこからどこまでが擬人法なのか判別するのはあんまり容易ではない気がするんです。
特に無生物主語、日本人的な感覚だとどうしても見極めがうまくいかない…
たとえばですが、
「重力が身体を引き下ろす」
という文を、私ははっきり擬人法か否か断じられなかったんですね。
外国語の詩であるぶん一層手に負えませんでした。
擬人法によって完全に思考が迷子になってしまった私は、もう少し軽い読み物にあたることにしました。
そこで読んだのがこれ、ジョナサン・カラーの『文学理論』です。
- 作者: ジョナサン・カラー,荒木映子,富山太佳夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/09/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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文学をやっている最近の学生なら必ず一度は触れたことがある本なんじゃないかなと思います。
今回は、この本の5章『レトリック、詩学、詩』の章を読み直しました。
そこで見つけたのはこちら
「難解な問題(hard problem)」を「把握する(grasping)」と言うとき、これら二つの表現は、比喩としての形象性が忘れられて、文字通りの意味のつもりで使われているのだ(p.105)
…いやほんまそれな~。
文字通りか文字通りじゃないかとかわからんくない正直?
当のレイコフだってmetaphors we live byとか言ってるわけやん、そのくらいメタファーって我々の思考の根底に染みついてるものやん、だったら「これは隠喩」「これは文字通り」とかそんな簡単に分離できるもんでもなくないフツーに?
……心の中のギャルがめちゃくちゃ叫び出しました。
ここまで来たところで、私は擬人法やメタファーへの理解を諦めました。
メタファー、大変難しゅうございます。
多分えらい先生の皆さんはここらへんもういろいろ決着つけてるんだろうなーと思いつつ、私は無学ゆえにまだまだ全く現在のメタファーに対する姿勢のスタンダードについていけていません。
ほぁぁぁぁ情けない限り。
これを読んでいる皆さん、どうか私の無学を笑わないでくださいませ、繊細なので。
あたたかい見守りを希望いたします。