文学生のふんわり金魚日記

文学院進という片道切符を選んでしまったへなちょこ女子大生がふんわり頑張る日記です。文学の中を泳ぎ回れるようになりたい。

太宰治『斜陽』と蛇というモチーフ

今日は王道中の王道、太宰治『斜陽』の話をしたいと思います。

数年前に頭の1/3だけ読んで、何があったかは忘れましたが読み切らないまま中断してしまっていたんですよね。

斜陽 他1篇 (岩波文庫)

斜陽 他1篇 (岩波文庫)

 

敗戦直後の没落貴族の家庭にあって、恋と革命に生きようとする娘かず子、「最後の貴婦人」の気品をたもつ母、破滅にむかって突き進む弟直治。滅びゆくものの哀しくも美しい姿を描いた『斜陽』は、昭和22年発表されるや爆発的人気を呼び、「斜陽族」という言葉さえ生み出した。同時期の短篇『おさん』を併収。

(表紙より)

 

専門が外国文学なので最近はもっぱら翻訳文学を読むことがほとんどで、この『斜陽』でひさしぶりに日本文学に触れましたが….

いやはや、太宰の書く文の美しさにぎゅーーっと引き込まれてしまいました。

翻訳を悪く言うつもりは一切ないのですが、やはり文豪の作品を母語で読めるというのはすばらしいですね。

 

今日は「蛇」というモチーフに着目して簡単にブックレポートを書き残しておこうと思います。(いま鋭意執筆中の卒論もモチーフに関するものなので…)

 

 

概要

あらすじ

戦後没落貴族となったかず子とその母は、東京の家を売って伊豆へと引っ越します。

しかし心労が重なったためか、その頃から母の体調は悪化。

また、戦地から帰ってきた弟の直治は放蕩生活を送るばかりで、家計の状況もどんどんひっ迫していきます。

かず子は直治を介して出会った作家の上原にすがり、3度手紙を出しますが、上原からは返事はありません。

その間に母は病気で亡くなってしまいます。

そこでついにかず子は東京にいる上原のもとに押しかけ、彼と結ばれます。

しかし伊豆の山荘へと帰宅すると、そこでは直治が自殺していました。

母や弟を失いながらも、上原の子供を身ごもったかず子は、「古い道徳」に対する革命を掲げ、強く生きていくことを誓います。

 

作品について

1947年発行。

太宰の代表作の一つで、発売されるなり瞬く間にベストセラーになり、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という言葉をも生み出しました。

彼の生家は現在この本の名前をとって「斜陽館」という記念館になっています。

もとは青森の大地主であった生家が、戦後ものさびしい状態となったのを目の当たりにした際に、太宰はチェーホフの『桜の園を想起し、この物語の構想をつくったそうです。

 

作者について

著者は言わずと知れた文豪太宰治(1909-1948)。走れメロス(1940)、ヴィヨンの妻(1947)、人間失格(1948)、そして本作『斜陽』で大変有名ですね。

戦前から戦後にかけて多くの作品を送り出しました。

 

彼は青森県津軽の裕福な大地主の家生まれ。

私生活に大変難の多い人で、自殺未遂や薬物中毒を何度も繰り返していました。

女性関係もなかなか複雑ですで、1947年には、太宰は当時既婚だったにもかかわらず太田静子という女性との間に子をもうけています。(子供である太田治子はその後太宰に認知されました)

この静子は後に『斜陽』の登場人物のモデルとなりました。

 

1948年、愛人山崎富江玉川上水で入水自殺。

遺体の発見された6月19日は太宰の誕生日で、「桜桃忌」の名で知られています。

 

「蛇の卵を焼く」行為が作中において持つ意味

物語の序盤に、ひとつの出来事が象徴的に取り上げられています。

それが「蛇の卵を焼く」ということ。

ある日、主人公かず子は庭先に蛇の卵を10個ほど見つけます。

近所の子どもたちはそれを「蝮の卵だ。」というので、それを信じたかず子は卵を燃やすことにします。(なかなか燃えなくて最終的には地面に埋めるのですが)

しかし卵を焼く様子を母親に見られ、かず子は以下のように思います。

蛇の卵を焼いたのを、お母さまに見つけられ、お母さまはきっと何かひどく不吉なものをお感じになったに違いないと思ったら、私も急に蛇の卵を焼いたのがたいへんなおそろしい事だったような気がして来て、この事がお母さまに或いは悪い祟りをするのではあるまいかと、心配で心配で、あくる日も、またそのあくる日も忘れる事が出来ずにいたのに、けさは食堂で、美しい人は早く死ぬ、などめっそうも無い事をつい口走って、あとで、どうにも言いつくろいが出来ず、泣いてしまったのだが、朝食のあと片づけをしながら、何だか自分の胸の奥に、お母さまのお命をちぢめる気味わるい小蛇が一匹はいり込んでいるようで、いやでいやで仕様が無かった。(P17)

かつてかず子の父が亡くなった際には、

  • 死の間際に枕元に黒い蛇がいた
  • 庭にある木すべての枝に蛇がのぼっていた

ということがあり、そのためかず子の母は大変蛇を苦手に思っているようです……

 

この、冒頭に象徴的に描かれるシーンとそれが持つ意味合いを、拙いながらすこしだけ考察してみたいと思います。

 

蛇という生き物のイメージ

まず、作中で蛇という生き物にどのようなイメージが込められているのか考えてみようと思います。

①鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ(p83)

②ずるい、蛇のような奸策(p83)

本文中には上記のような表現があります。

ここからわかるのは、本作の語り手かず子が

  • 蛇は賢い生き物である(どちらかといえば"ずる賢い"のイメージが強め)
  • 蛇は狡猾な生き物である

というイメージを持っているということ。

①の表現なんかはほぼそのままマタイ福音書の表現ですね。

どうやらキリスト教の影響を色濃く受けていそう。

妻子持ちの上原を誘惑する際、かず子は自分がどんどん「蛇」へと変化していっているという自覚を持っていますが、それもアダムとイブのにリンゴを食べるようそそのかしたあの蛇のイメージがもとになっているはず。

 

一方で、それとは異なるイメージでとらえられる「美しい蛇」の存在があります。

かず子は赤い縞を持った「上品な女蛇」に、優美で品のある、自らの最愛の母親の姿をも重ね合わせます。

決してこの蛇に「ずる賢い」といった描写を与えることはせず、蛇一般の概念とは一線を画すように描かれています。

また、先述した父の死のシーンに登場する蛇たちも、単に不吉なだけでなくある種の神々しさ(霊的な力)を持つ存在として描かれているのかもしれません。

(ここらへんは日本的な観念が影響してるんじゃないかしら、蛇信仰もありますし)

 

さらに、蝮(まむし)という生き物もひとつの大きな象徴として提示されます。

これは「美しい蛇」とは対照的で、圧倒的にネガティブな文脈で描かれます。

夕日がお母さまのお顔に当って、お母さまのお眼が青いくらいに光って見えて、その幽かに怒りを帯びたようなお顔は、飛びつきたいほどに美しかった。そうして、私は、ああ、お母さまのお顔は、さっきのあの悲しい蛇に、どこか似ていらっしゃる、と思った。そうして私の胸の中に住む蝮みたいにごろごろして醜い蛇が、この悲しみが深くて美しい美しい母蛇をいつか、食い殺してしまうのではなかろうかと、なぜだか、なぜだか、そんな気がした。(P19)

蝮は醜悪で、毒を持ち、母親という美しい蛇を食い殺してしまうような存在なのです。

 

蛇から蝮へ

作品を読んでいてひとつ気付いたことがあります。

それはかず子の心の中に巣くっている生き物が、蛇から蝮へと変化していることです。

例えば一番上に挙げた引用では

何だか自分の胸の奥に、お母さまのお命をちぢめる気味わるい小蛇が一匹はいり込んでいるよう

その次に挙げた引用では

私の胸の中に住む蝮みたいにごろごろして醜い蛇が、この悲しみが深くて美しい美しい母蛇をいつか、食い殺してしまうのではなかろうか

そしてさらに進むと

私の胸にはが宿り、お母さまを犠牲にしてまで太り、自分でおさえてもおさえても太り

蛇の卵を焼いた事件のあとにかず子の心に迷い込んだのは「気味悪い小蛇」のはずでした。

それがページを追うごとに・時を経るごとに「醜い蛇」に変化し、ついには「蝮」になり、そしてさらに成長を続けていくのです。

この描写により、かず子の中で何か大きな変質が起き、またその変質が自分の最愛の母親をも食い殺すようなものであることが暗示されています。

 

ではその変質とは何か?

この作品の中で描かれる一番大きなかず子の変化は、「これまでの貴族的・伝統的な価値観に反旗を翻し、俗物的に力強く生きていくことを選んだ」ことでしょう。

貴族生まれのかず子は、次第にたくましく、ヨイトマケも厭わない「野生の田舎娘」へと変わっていくのです。

 

となると、この「気味悪い小蛇」から「蝮」への変化は「かず子の中で野生的・田舎的なたくましさが大きくなっていく過程」のメタファーであり、蝮は俗物性を表しているのではないでしょうか??

 

蛇の卵を焼く

上記のように仮定すると、冒頭に描かれる「蛇の卵を焼く」行為には、今後起こるかず子の変化が強く暗示されていると読むことができます。

蝮と対照的な「美しい蛇」はまさに貴族性の象徴

かず子は美しい蛇の卵=貴族性を知らず知らずのうちに自らの手で焼き払ってしまい、それをきっかけに心の中に蝮=俗物性を宿すことになるのです。

 

また、かず子は美しい母蛇に自分の母親を重ね合わせていますが、しからばその卵(子供)=直治と考えることもできます。

かず子は直治=蛇の卵を、蝮の卵だと勘違いして焼いてしまった。

つまりこれは、「直治という貴族性を持った人間を、俗物だと誤解したまま死なせてしまう」という姉弟間の悲しいすれ違いを暗示しているのかもしれません。

(放蕩ごみ野郎の弟・直治の遺書の最後、『僕は、貴族です。』という一文は非常に胸に迫るものがありましたね…)

 

 まとめ

かず子は「蛇」のずる賢さを獲得しながら、「蝮」のように力強く、たくましく生きていきます。

その一方で「美しい蛇」であった母や、決して最期まで俗物になりきれなかった弟の直治は、時代とともに死んでいきます。

この物語の冒頭にある「(美しい)蛇の卵を焼く」シーンは、そんな行く末を暗示するようなものではないでしょうか。

 

…以上!!

ここまで約4700字、めっちゃ疲れました褒めてほしいです。

ちょっと疲労で脳がよれよれなので、日本語や論理性がおかしいところも多々あるかもしれません、また後日修正いたします。

 

タチバナ

 

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