文学生のふんわり金魚日記

文学院進という片道切符を選んでしまったへなちょこ女子大生がふんわり頑張る日記です。文学の中を泳ぎ回れるようになりたい。

太宰治『斜陽』と蛇というモチーフ

今日は王道中の王道、太宰治『斜陽』の話をしたいと思います。

数年前に頭の1/3だけ読んで、何があったかは忘れましたが読み切らないまま中断してしまっていたんですよね。

斜陽 他1篇 (岩波文庫)

斜陽 他1篇 (岩波文庫)

 

敗戦直後の没落貴族の家庭にあって、恋と革命に生きようとする娘かず子、「最後の貴婦人」の気品をたもつ母、破滅にむかって突き進む弟直治。滅びゆくものの哀しくも美しい姿を描いた『斜陽』は、昭和22年発表されるや爆発的人気を呼び、「斜陽族」という言葉さえ生み出した。同時期の短篇『おさん』を併収。

(表紙より)

 

専門が外国文学なので最近はもっぱら翻訳文学を読むことがほとんどで、この『斜陽』でひさしぶりに日本文学に触れましたが….

いやはや、太宰の書く文の美しさにぎゅーーっと引き込まれてしまいました。

翻訳を悪く言うつもりは一切ないのですが、やはり文豪の作品を母語で読めるというのはすばらしいですね。

 

今日は「蛇」というモチーフに着目して簡単にブックレポートを書き残しておこうと思います。(いま鋭意執筆中の卒論もモチーフに関するものなので…)

 

 

概要

あらすじ

戦後没落貴族となったかず子とその母は、東京の家を売って伊豆へと引っ越します。

しかし心労が重なったためか、その頃から母の体調は悪化。

また、戦地から帰ってきた弟の直治は放蕩生活を送るばかりで、家計の状況もどんどんひっ迫していきます。

かず子は直治を介して出会った作家の上原にすがり、3度手紙を出しますが、上原からは返事はありません。

その間に母は病気で亡くなってしまいます。

そこでついにかず子は東京にいる上原のもとに押しかけ、彼と結ばれます。

しかし伊豆の山荘へと帰宅すると、そこでは直治が自殺していました。

母や弟を失いながらも、上原の子供を身ごもったかず子は、「古い道徳」に対する革命を掲げ、強く生きていくことを誓います。

 

作品について

1947年発行。

太宰の代表作の一つで、発売されるなり瞬く間にベストセラーになり、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という言葉をも生み出しました。

彼の生家は現在この本の名前をとって「斜陽館」という記念館になっています。

もとは青森の大地主であった生家が、戦後ものさびしい状態となったのを目の当たりにした際に、太宰はチェーホフの『桜の園を想起し、この物語の構想をつくったそうです。

 

作者について

著者は言わずと知れた文豪太宰治(1909-1948)。走れメロス(1940)、ヴィヨンの妻(1947)、人間失格(1948)、そして本作『斜陽』で大変有名ですね。

戦前から戦後にかけて多くの作品を送り出しました。

 

彼は青森県津軽の裕福な大地主の家生まれ。

私生活に大変難の多い人で、自殺未遂や薬物中毒を何度も繰り返していました。

女性関係もなかなか複雑ですで、1947年には、太宰は当時既婚だったにもかかわらず太田静子という女性との間に子をもうけています。(子供である太田治子はその後太宰に認知されました)

この静子は後に『斜陽』の登場人物のモデルとなりました。

 

1948年、愛人山崎富江玉川上水で入水自殺。

遺体の発見された6月19日は太宰の誕生日で、「桜桃忌」の名で知られています。

 

「蛇の卵を焼く」行為が作中において持つ意味

物語の序盤に、ひとつの出来事が象徴的に取り上げられています。

それが「蛇の卵を焼く」ということ。

ある日、主人公かず子は庭先に蛇の卵を10個ほど見つけます。

近所の子どもたちはそれを「蝮の卵だ。」というので、それを信じたかず子は卵を燃やすことにします。(なかなか燃えなくて最終的には地面に埋めるのですが)

しかし卵を焼く様子を母親に見られ、かず子は以下のように思います。

蛇の卵を焼いたのを、お母さまに見つけられ、お母さまはきっと何かひどく不吉なものをお感じになったに違いないと思ったら、私も急に蛇の卵を焼いたのがたいへんなおそろしい事だったような気がして来て、この事がお母さまに或いは悪い祟りをするのではあるまいかと、心配で心配で、あくる日も、またそのあくる日も忘れる事が出来ずにいたのに、けさは食堂で、美しい人は早く死ぬ、などめっそうも無い事をつい口走って、あとで、どうにも言いつくろいが出来ず、泣いてしまったのだが、朝食のあと片づけをしながら、何だか自分の胸の奥に、お母さまのお命をちぢめる気味わるい小蛇が一匹はいり込んでいるようで、いやでいやで仕様が無かった。(P17)

かつてかず子の父が亡くなった際には、

  • 死の間際に枕元に黒い蛇がいた
  • 庭にある木すべての枝に蛇がのぼっていた

ということがあり、そのためかず子の母は大変蛇を苦手に思っているようです……

 

この、冒頭に象徴的に描かれるシーンとそれが持つ意味合いを、拙いながらすこしだけ考察してみたいと思います。

 

蛇という生き物のイメージ

まず、作中で蛇という生き物にどのようなイメージが込められているのか考えてみようと思います。

①鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ(p83)

②ずるい、蛇のような奸策(p83)

本文中には上記のような表現があります。

ここからわかるのは、本作の語り手かず子が

  • 蛇は賢い生き物である(どちらかといえば"ずる賢い"のイメージが強め)
  • 蛇は狡猾な生き物である

というイメージを持っているということ。

①の表現なんかはほぼそのままマタイ福音書の表現ですね。

どうやらキリスト教の影響を色濃く受けていそう。

妻子持ちの上原を誘惑する際、かず子は自分がどんどん「蛇」へと変化していっているという自覚を持っていますが、それもアダムとイブのにリンゴを食べるようそそのかしたあの蛇のイメージがもとになっているはず。

 

一方で、それとは異なるイメージでとらえられる「美しい蛇」の存在があります。

かず子は赤い縞を持った「上品な女蛇」に、優美で品のある、自らの最愛の母親の姿をも重ね合わせます。

決してこの蛇に「ずる賢い」といった描写を与えることはせず、蛇一般の概念とは一線を画すように描かれています。

また、先述した父の死のシーンに登場する蛇たちも、単に不吉なだけでなくある種の神々しさ(霊的な力)を持つ存在として描かれているのかもしれません。

(ここらへんは日本的な観念が影響してるんじゃないかしら、蛇信仰もありますし)

 

さらに、蝮(まむし)という生き物もひとつの大きな象徴として提示されます。

これは「美しい蛇」とは対照的で、圧倒的にネガティブな文脈で描かれます。

夕日がお母さまのお顔に当って、お母さまのお眼が青いくらいに光って見えて、その幽かに怒りを帯びたようなお顔は、飛びつきたいほどに美しかった。そうして、私は、ああ、お母さまのお顔は、さっきのあの悲しい蛇に、どこか似ていらっしゃる、と思った。そうして私の胸の中に住む蝮みたいにごろごろして醜い蛇が、この悲しみが深くて美しい美しい母蛇をいつか、食い殺してしまうのではなかろうかと、なぜだか、なぜだか、そんな気がした。(P19)

蝮は醜悪で、毒を持ち、母親という美しい蛇を食い殺してしまうような存在なのです。

 

蛇から蝮へ

作品を読んでいてひとつ気付いたことがあります。

それはかず子の心の中に巣くっている生き物が、蛇から蝮へと変化していることです。

例えば一番上に挙げた引用では

何だか自分の胸の奥に、お母さまのお命をちぢめる気味わるい小蛇が一匹はいり込んでいるよう

その次に挙げた引用では

私の胸の中に住む蝮みたいにごろごろして醜い蛇が、この悲しみが深くて美しい美しい母蛇をいつか、食い殺してしまうのではなかろうか

そしてさらに進むと

私の胸にはが宿り、お母さまを犠牲にしてまで太り、自分でおさえてもおさえても太り

蛇の卵を焼いた事件のあとにかず子の心に迷い込んだのは「気味悪い小蛇」のはずでした。

それがページを追うごとに・時を経るごとに「醜い蛇」に変化し、ついには「蝮」になり、そしてさらに成長を続けていくのです。

この描写により、かず子の中で何か大きな変質が起き、またその変質が自分の最愛の母親をも食い殺すようなものであることが暗示されています。

 

ではその変質とは何か?

この作品の中で描かれる一番大きなかず子の変化は、「これまでの貴族的・伝統的な価値観に反旗を翻し、俗物的に力強く生きていくことを選んだ」ことでしょう。

貴族生まれのかず子は、次第にたくましく、ヨイトマケも厭わない「野生の田舎娘」へと変わっていくのです。

 

となると、この「気味悪い小蛇」から「蝮」への変化は「かず子の中で野生的・田舎的なたくましさが大きくなっていく過程」のメタファーであり、蝮は俗物性を表しているのではないでしょうか??

 

蛇の卵を焼く

上記のように仮定すると、冒頭に描かれる「蛇の卵を焼く」行為には、今後起こるかず子の変化が強く暗示されていると読むことができます。

蝮と対照的な「美しい蛇」はまさに貴族性の象徴

かず子は美しい蛇の卵=貴族性を知らず知らずのうちに自らの手で焼き払ってしまい、それをきっかけに心の中に蝮=俗物性を宿すことになるのです。

 

また、かず子は美しい母蛇に自分の母親を重ね合わせていますが、しからばその卵(子供)=直治と考えることもできます。

かず子は直治=蛇の卵を、蝮の卵だと勘違いして焼いてしまった。

つまりこれは、「直治という貴族性を持った人間を、俗物だと誤解したまま死なせてしまう」という姉弟間の悲しいすれ違いを暗示しているのかもしれません。

(放蕩ごみ野郎の弟・直治の遺書の最後、『僕は、貴族です。』という一文は非常に胸に迫るものがありましたね…)

 

 まとめ

かず子は「蛇」のずる賢さを獲得しながら、「蝮」のように力強く、たくましく生きていきます。

その一方で「美しい蛇」であった母や、決して最期まで俗物になりきれなかった弟の直治は、時代とともに死んでいきます。

この物語の冒頭にある「(美しい)蛇の卵を焼く」シーンは、そんな行く末を暗示するようなものではないでしょうか。

 

…以上!!

ここまで約4700字、めっちゃ疲れました褒めてほしいです。

ちょっと疲労で脳がよれよれなので、日本語や論理性がおかしいところも多々あるかもしれません、また後日修正いたします。

 

タチバナ

 

斜陽 (新潮文庫)

斜陽 (新潮文庫)

 
斜陽 他1篇 (岩波文庫)

斜陽 他1篇 (岩波文庫)

 
桜の園 (岩波文庫)

桜の園 (岩波文庫)

 

 

就活が嫌過ぎて香港へ逃亡したはなし

こんにちは、タチバナです。 

今日は最近(?)行った香港旅行の話を書きたいと思います。

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6月下旬、2泊3日で香港・澳門へ旅行してまいりました。

とはいえそのころ私は就職活動の真っただ中。

つまりそう、現実逃避です。

 

私は6月の3週目までに第1弾の企業群(3月とかにES出した分ですね)の面接をすべて終え、最終面接も既に6本受けていました。

「まあ6個も最終受けてればどこかは引っかかるでしょ~」

と希望的観測を抱いていた私。

しかし待てど暮らせどなぜかどこからも連絡がこない。

絶望でした。

まさか自分が持ち駒全滅させるとは思わなかった…

圧倒的な焦燥の中、次なる手をいかに打つかに頭を悩ませた末私は…

香港に旅行に行きました。

 

日程

  • 2泊3日
  • 往路:関空peach便
  • 復路:羽田着HKexpress便

往復ともLCCを使いまして、あわせて3万円強程度だったと思います。

私は諸般の事情によりこの日程にせざるを得なかったのですが、日によっては1万円台で余裕で行けちゃうみたいですね、すごいぞLCC

実はアジア系のLCCに搭乗するのは今回が初めてだったのですが、そこまで大きな問題はなくスイスイ乗れました。

  • ちょーーーっと搭乗ゲートが僻地にあって焦った
  • 帰国便が1時間遅延して終電を失った

のはご愛嬌ですね...?

 

宿泊

「貧乏学生だからあんまりホテルにお金をかけるわけにはいかないけど、でもせっかくだしちょっといいホテルにも泊まってみたい!」

ということで、今回は1泊目が節約コース・2泊目はちょっぴりリッチコースという組み合わせにしました。

なお、香港は全体的に物価が高く、ホテル価格もかなり高めの部類なんだそうです。

 

1泊目―Boutique 1946 Inn

1泊目は、雑居ビルなのか団地なのかすらよくわからない建物の一室にあるホテル(?) Boutique 1946 Inn に泊まりました。f:id:tachibanayun:20180911174033j:plain

上の写真はホテル(?)の入り口です。

漂う生活感が、なんだか香港の暮らしをのぞき見しているようで楽しくなっちゃいますね。

この中に小さなお部屋がいくつかあり、それぞれカードキーで出入りします。

お値段は2人1部屋で5400円/泊程度でした。

 

このホテルを選んだ決め手は以下の通り。

  • 香港の中ではかなり安い
  • 中心街モンコック(旺角)の駅から近い
  • バスルーム(トイレ&シャワー)が個室についている

特にバスルームに関しては、鬼の蒸し暑さを誇る香港の6月においては「1日の終わりにすっきりシャワータイムを過ごせるか否か」が死活問題になると考えかなり重視していました。

部屋は狭いながら必要なものはコンパクトにすべてそろっていて、思っていたよりだいぶ快適に過ごせました。

 

2泊目―New World Millennium Hong Kong Hotel

2泊目はこちら、まさかの5つ星ホテルNew World Millennium Hong Kong Hotel

(画像をクリックでTripAdviser にとびます)

 もともとは日航系だったらしく、日本からの利用客も多いというホテルでした。

このホテルを選んだ決め手は

  • 5つ星ホテルとしてはとにかく安い

この1点です(笑)

私は友人と2人でハーバービューのデラックスルームに宿泊しましたが、2人1部屋で25000円/泊程度でした。驚安。

お部屋は広々、ベッドはふかふか、窓からは香港の海が見えて、とっても最高でした。

また、バスルームがかなり広くつくられていて(※貧乏学生の感覚です)、非常に楽しいバスタイムを過ごせました。

お風呂ぎらいで普段はほぼシャワーで行水しているだけの私ですが、このときばかりは夜と朝2回お風呂に入りました...(笑)

 

香港で記憶に残った場所

バードストリート

最も印象に残った場所はどこかと言われると、個人的にはバードストリートかなと思います。

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公園のような外の街とは少し隔てられた空間に、鳥を売る小さな小屋が立ち並びます。

屋台に挟まれた小路は少し薄暗く、あちこちから鳥の鳴く声が聞こえてきました。

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私が子供のころ初めて映画館で観た映画が『劇場版 カードキャプターさくらなんですが、この映画の舞台は香港。

商店街の福引で香港旅行を引き当て、お兄ちゃんとともに香港に行くんです。

正直なところ具体的なストーリーはまったく覚えていないのですが、唯一、さくらちゃん一行が薄暗いバードストリートを歩いていた映像だけは妙にはっきり記憶に残っています。

ですので今回の香港旅行ではどうしてもここに行きたかったんですよね。

駅から少々距離があり、暑さでよれよれになりながら歩いていく羽目になったのですが、行けて良かったなぁと思います。

カードキャプターさくら【劇場版】 [DVD]

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ヴィクトリアピークのスカイテラス

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これは大変王道ですね。

香港の100万ドルの夜景を見下ろす位置にある有料展望台です。

「香港に行くならとりあえずココ!」というくらい王道なのですが、私にはあまり何とも言えない意味で記憶に残りました...

というのも、 お天気が最悪だったんですよね(笑)

スカイテラスまで行くのにトロッコ+入場料でおよそ1500円程度するのですが、いざ行ってみたらまさかの曇り。

展望台自体がおそらく雲に突入してしまっていたようで、下界の夜景なんかボヤボヤのボヤです。見えたもんじゃありません。ただひたすら濃厚なミストを浴びるのみ。

「や、なんで誰も『今日は曇ってて夜景見れないよ』って教えてくれへんの...?」

と思いました。くやしい。

 

しかし有料展望台から降りタワーから出て歩くこと数メートル。

観光客がほとんどいない屋外の小さな展望台からは、多少マシに夜景が見えたんです。

高くにある有料展望台が雲に巻き込まれていたのに対して、こちらの展望台は高さが無い分クリアに夜景を見ることができたんですね。

上の写真はそのとき撮ったものです。

 

その他の思い出

エビシュウマイがひたすらおいしくて毎食食べたり(3日目の朝食でついに飽きました)、チャイナな寺院に行ったり、トリックアートではしゃいだ写真を撮ったり、大変楽しく2泊3日を過ごしました。

しかし私の頭の片隅に常にあるのはそう、

「就活」

2日目の夜ぐらいから就活のことをまざまざと思いだしてちょっと泣いたりしました。

あとは川辺でロマンチックに眺めていた香港100万ドルの夜景の中に、私を最終面接で落とした企業の看板が燦然と輝いていたのがもう最悪でしたね。

それも2社分

「就活から逃げたくて香港まで来たのに逃げられへんのかーい」と。

 

旅行最終日、香港空港から羽田へと旅立った私は、その翌日東京の大規模就活イベントに参加しましたとさ。

 

タチバナ

 

ハレ旅 香港&マカオ

ハレ旅 香港&マカオ

 

 

卒論の中間発表におびえています。

表題の通りです。

今月末に卒業論文の中間発表があるので、最近はそれにむけてうごうごしているような状態です。

毎日午前中をだらだら無為に過ごし、昼過ぎから夜の8時まで学生無料のカフェでひたすら文献を読んだり詩の翻訳をしたりその他雑事をこなしたりときどきテーブルにつっぷしてお昼寝したり。

ひたすらそんな毎日が続いています。

そのカフェに通いすぎて、昨日はついに

「あっ今日はメガネじゃなくてコンタクトなんですね!」

とスタッフさんに話しかけられてしまいました。

乞食で申し訳ありません。

 

「本を読んだら記録をつけよう!」

と思って始めたこの日記ですが、なかなかなかなか、一つ記事を生み出すための時間的余裕―というよりむしろ精神的余裕をつくりだすのは容易ではありませんね。

コンスタントに書評本の感想を記事にあげられている方々は非常に尊敬します。

こころがつよい。

 

とりあえず、今月中には読み終えておきたい本を以下に挙げます。

私自身にはっぱをかけるためです。

これらについてまた記事として痕跡を残せるようにがんばりますね。

今までずっと物語ばかり読んできた人間なので、大変おはずかしながら、学術系の文書を読むことに関しては牛歩です。

 

詩と認知

詩と認知

 
文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)

文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)

 
待ちのぞむ魂: スーデルグランの詩と生涯

待ちのぞむ魂: スーデルグランの詩と生涯

 

 

タチバナ

 

辺境の19世紀末と恋―クヌート・ハムスン『ヴィクトリア』を読みました

こんにちは、タチバナです。

本日は先日の猛烈な台風21号による停電の中、懐中電灯の光のもとで読み終えた本、クヌート・ハムスン『ヴィクトリア』についてお話ししたいと思います。

タイトルも作者名も全く知らなかったのですが、訳者が数少ない北欧文学の翻訳者として知られる冨原眞弓先生(本来のご専門はフランス哲学だそうです)でしたので、これは読まなければ!と思い手に取りました。

私、なんとなく北欧の作品が好きなのです。

 

クヌート・ハムスン『ヴィクトリア』

ヴィクトリア (岩波文庫)

ヴィクトリア (岩波文庫)

 

「愛に似たものは世界にふたつと存在しない」──城の令嬢と粉屋の息子、幼なじみのふたりをしだいに隔てる階層の壁。世紀末ノルウェーの森で、秘められた思いと幻想が静かに燃える。大自然の中から突如として現れ、北欧に新ロマン主義を巻き起こした大地の作家クヌート・ハムスン(1859―1952)の、もっとも美しい恋愛小説。

作品概要

あらすじ

舞台は19世紀末のノルウェー

粉屋の息子ヨハンネスは、領主の娘でお城に住んでいるヴィクトリアに幼い時からずっと恋をしています。

ヴィクトリアも同様に彼を好いているのですが、しかしそれは許されざる恋。

お互いの身分や家庭の状況、気持ちのすれ違い、死などによって何度も阻まれる2人―その秘められた悲恋を描く作品です。 

 

著者について

クヌート・ハムスン(Knut Hamsun, 1859-1952)はノルウェーの小説家で、1920年にはノーベル文学賞も受賞しました。日本ではあまり馴染みがない作家かもしれませんが、『飢え』『土の恵み』『ヴィクトリア』をはじめとし、そこそこの数の作品が邦訳・出版されています。

この時代の作家というと比較的裕福な育ちの人が多い印象がありますが、ハムスンは貧困の中で育ったようです。

9歳のときに叔父のもとへ働きに出、教育をほとんど受けることもできないまま、虐待されながら5年間を過ごしました。その後2度の渡米(北欧からアメリカへの移民が激増していた時代ですもんね)を経て、1888年コペンハーゲンに移住。1890年に出版した『飢え』が一躍ベストセラーとなり、作家としてよく知られるようになりました。

その後も作家として活躍した彼ですが、ナチス・ドイツを支持し続けたため、晩年にはその名誉を失ってしまったようです。

 

感想

美しい愛の物語

これは非常にふわっとした感想なのですが、第一に、「大変前時代的な作品だなぁ」と思いました。

 

まず、舞台は19世紀末なのですが、領主―領民という身分制度が描かれています。

歴史には明るくないのですが、おそらくこのころ西欧諸国やスウェーデン、イギリスなんかはすでにこのような制度は脱していたのではないでしょうか?

思い描いていた19世紀末のイメージと状況が少々異なっていたのでびっくりしてしまいました。

 

また、同時期の北欧の著名な作家として、スウェーデンストリンドベリ(August Strindberg,1849-1912)やセーデルベリ(Hjalmar Söderberg,1869-1941)がいると思うのですが、彼らがかなり当時の社会問題をまざまざと描き出していたのに対して、この『ヴィクトリア』はかなり牧歌的というか題材にそこまで重みが無いというか…

「美しい田園風景と美しい女性、美しい愛」という部分に終始してしまってるんじゃないかなという感がありました。

ただ、決して作品自体が悪いわけではなくて、単純に私がこの作品の成立年代から勝手に先述のストリンドベリやセーデルベリ、はたまたイプセンのイメージを抱いて読んでしまったのが悪かったんだと思います。

後から調べてみたらハムスン、ロマン主義に分類される作家なんだそうですね、どうりで。

ノルウェーの美しい自然やなかなか近代化が進まなかった歴史、それから著者自身が田舎で幼い時から働きづめで生活していたという伝記的背景がこのような牧歌的な物語を生み出すもととなったんじゃないかなと思いました。

19世紀末という時代設定からは想像しなかったような、のどかで完璧な愛のかたちを繊細に描いた物語でした。

 

印象に残ったシーン

個人的に最も印象に残った部分を紹介しますね。

主人公ヨハンネスはあるときカミーラという女の子と婚約をします。

彼女は非常に天真爛漫な明るい少女。

ヴィクトリアのことは忘れられないものの、ヨハンネスも彼女に癒されていました。

しかしある晩、パーティーから帰ってきたカミーラが動揺したように言うのです、

「あなたのことは好きじゃないなんて思わないでね。神さまに誓って。いまよりもっと頻繁に会いにきて、あなたの望むことはなんでもするから。ただ、彼のほうがもっと好き、それだけなの。望んだわけじゃない。わたしのせいじゃないの」

これ、すごいセリフじゃないですか!?!?!?

大変多くの女の子の心に刺さる発言だと思うんですよね。

なんだかこのシーンについていっぱい語りたい気がしてきました。

また別記事でお話するかもしれません…(笑)

 

それでは今日はこのあたりで。

 

タチバナ

 

ヴィクトリア (岩波文庫)

ヴィクトリア (岩波文庫)

 
恋の火遊び/令嬢ジュリー―ヨーハン・A・ストリンドベリ戯曲

恋の火遊び/令嬢ジュリー―ヨーハン・A・ストリンドベリ戯曲

 
人形の家(新潮文庫)

人形の家(新潮文庫)

 

 

尊厳ある生と死―ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』を読みました

こんにちは、タチバナです。

実家に帰ってからおよそ2週間弱が経ちまして、最近彼氏とテレビ電話をしたところ、

「あんた健康的な顔になったな…」

と心底ほっとしたように言われました。

落ち過ぎた体重を着実に取り戻しつつあります。

 

 

『ダロウェイ夫人』

今日のブックレポートはヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』です。

私の研究対象がモダニズム期の人なので、とりあえずウルフを読んでおこうと思い手に取った次第です。

ダロウェイ夫人 (光文社古典新訳文庫)

ダロウェイ夫人 (光文社古典新訳文庫)

 

6月のある朝、ダロウェイ夫人はその夜のパーティのために花を買いに出かける。陽光降り注ぐロンドンの町を歩くとき、そして突然訪ねてきた昔の恋人と話すとき、思いは現在と過去を行き来する。生の喜びとそれを見つめる主人公の意識が瑞々しい言葉となって流れる画期的新訳。

(裏表紙より)

 

作品・作者概要

原題はMrs Dalloway

第一次世界大戦後間もないロンドンのある1日を、ダロウェイ夫人ことクラリッサ・ダロウェイを主人公に据えながら、「意識の流れ」という画期的な手法を用いて描いていきます。

この「意識の流れ」(stream of consciousness)というのは、3人称の地の文に、特に何の注釈もなくそのまま語り手の主観的な感情や思考が入り込んでくる書き方。

人間の、絶え間なく流れていく思考をそのまま書き取ろうとします。

もちろん、(人間ですので)飛躍もいっぱい。

主として20世紀モダニズム文学で用いられた手法で、『ダロウェイ夫人』はその代表作として知られています。

 

ストーリー自体は決して大きな起伏があるわけではないので、ちょっと簡潔に説明するのは難しいですが…

「クラリッサが晩にパーティーを開くために準備をする」という流れを主軸に置きながら、彼女がかつて袖にした男性ピーターや戦争のために精神を病んでしまったセプティマスをはじめとした多くの人々の目線からある1日を描いていきます。

 

著者のヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882-1941)は英国の女流作家。

モダニズム文学のキーパーソンの1人ともいえる人で、この作品のほか『オーランドー』Orlandoなどで知られています。

 

「個性ある死」の再建

数年前に大学の英文学の授業で、探偵小説を読んでいたことがありました。

その授業は単なる英語の購読にとどまらず文学的なアプローチの仕方を学ぶことのできる、非常に興味深いものだったのですが、特に印象に残っているお話に

「なぜ推理小説WWI後に盛り上がりを見せたのか」

というものがあります。

先生は理由として以下の2点を挙げてらっしゃいました。

WWIを経て多くの人の無個性な死を目の当たりにしたことにより

①人の死が身近になり、記号として死を描くことができるようになった

「個性ある死」を再建し、個人の尊厳を取り戻したいという感情が生まれた

当時のメモが手元にないので不確かですが、おそらく笠井潔さんの『探偵小説論』によるものだと思います。(先生の発言内容につきましても記憶が曖昧ですので、もしかしたら多少の間違いがあるかもしれません)

このおはなしを、私は『ダロウェイ夫人』を読みながらふと思い出しました。

 

主人公クラリッサがパーティーの準備をするのがこの物語の主な軸ですが、それと同時進行で、セプティマス・ウォレン・スミス夫妻の様子も描かれています。

セプティマスはWWIの兵役のために精神を病んでしまっており、夫婦仲もぎくしゃくしています。

意味の分からない独り言を言ったり、自殺すると言い出したりするセプティマスと、それに困り切ってしまっている妻ルクレーツィア。

ルクレーツィアはセプティマスを名医のところへ連れていくなど、なんとか彼を支えようとするのですが、最終的にセプティマスは窓から飛び降りてしまいます―

 

クラリッサは物語の終盤、晩のパーティーで彼の自殺を耳にします。

彼女にとって彼は名前も知らないような赤の他人。

しかしその話を聞いた時、彼女にはまるで彼が自分の分身のように思えるのです。

クラリッサはとの自殺した青年をとても近しく感じた。彼がやりおおせ、身を投げ捨てたことを嬉しく思った。

と。

 

その一方で、夫リチャードからバラの花をプレゼントされたクラリッサが、こんなことを思うシーンがあります。

世間は「クラリッサ・ダロウェイはだめなやつだ」と言うでしょう。アルメニア人より薔薇が大切らしいと言うでしょう。追い立てられ、傷つけられ、凍死寸前のアルメニア人。残虐行為と不正義の犠牲者(と、リチャードが繰り返し言っていた)―そう、わたしはアルバニア人(いえ、アルメニア人だったかしら)にとくに何も感じない。でも、薔薇を愛している(それはアルメニア人を助けることにならないの?)

当時大きな問題となっていたアルメニア大虐殺についての話題が出てきます。

夫リチャードが真面目な議員であることもあり、クラリッサも問題の重要性を頭では理解しているものの、アルメニアだかアルバニアだかわからなくなってしまう程度にどうでもいい話題の様子。

彼女にとって大事なのは遠くの大勢のアルメニア人ではなく目の前の薔薇の花。

アルメニア大虐殺は、彼女にとっては無個性な死そのものなのです。

 

先ほどの笠井潔さんの論を私がふと思い出したのは、アルメニア大虐殺という無個性な死をさりげなく描いたのちに、セプティマスの自殺を物語におけるひとつの大きな柱として―「個性のある死」として描いているなと感じたためです。

そこにはWWIを経て失われた個々の人間の個性や理性などの人としての尊厳を、「個性のある死」を描くことによってもう一度取り戻したい、という推理小説と同じような潮流があったのではないでしょうか。

クラリッサは、自殺によってセプティマスは自分の大切にしていることを永遠に守り切ったのだと考え、彼の死に彼自身の尊厳ある選択を見出すのです。

(問答無用で死んでいったたくさんのアルメニア人とは対照的に…)

 

また「意識の流れ」という表現方法も、そのような想いの中で、ひとりひとりの人間の内面を見つめようとした結果選ばれたのかもしれませんね。

 

その他思ったこと 

本当は「日常生活の引力」なども踏まえ、もう少し考えたことを書き残したかったのですが、あまりにも長くなってしまったのでこのあたりでやめようかと思います。

3000字超ですもん。

ストーリーとして刺さるようなものはないけれど、ところどころの鮮烈な文や、文章を通して伝わるロンドンの空気が印象に残る作品でした。

「日常生活の引力は強い」という一文と、上に挙げた薔薇の花のくだりが妙にとても好きです。

 

タチバナ 

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

 
探偵小説論序説

探偵小説論序説

 

 

真木悠介『気流の鳴る音』を読みました

こんにちは、先日のバイト代6万円が振り込まれてハッピーなタチバナです。

今まで2万円/月くらいの労働しかしてこなかったので、私としてはなかなか頑張った感があります。 

院の入学金くらいは自分で準備したいところですねぇ。

 

彼氏曰はく「俺の人生を変えた本」

さて、本の話をしましょう。

私が最近読んだのは真木悠介先生の『気流の鳴る音』です。

 

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

 

 「知者は“心のある道”を選ぶ。どんな道にせよ、知者は心のある道を旅する。」アメリカ原住民と諸大陸の民衆たちの、呼応する知の明晰と感性の豊饒と出会うことを通して、「近代」のあとの世界と生き方を構想する翼としての、“比較社会学”のモチーフとコンセプトとを確立する。

(裏表紙より)

かつてアメリカの人文学者カストロカスタネダは、メキシコ北部に住むヤキ族の老人ドン・ファンの生きる世界を、4冊の著作を通して紹介しました。

この『気流の鳴る音』はその四部作を解釈し、現代日本社会に生きる我々にもわかりやすく伝えるものです。

4つの象限から、順を追ってドン・ファンの世界に迫っていきます。

著者の真木さんの本名は見田宗介で、現在は東京大学の名誉教授をされている社会学者の先生だそうです。

 

私がこの本を手にしたのは、最近ブックオフのセールでこの本を入手した彼氏に「ほい」と押し付けられたからでした。

彼氏いわく、

「これは俺が浪人中に読んで衝撃を受けた本だからあんたにも読んでほしい。

この本が俺の思考の基礎をつくっている。この構造を学んでくれ」と。

ホゥそれなら読んでみようと思い今に至ります。

 

 読んだ感想としましては、まず何より

「著者は非常に頭のよい人なんだなぁ」

と漠然と思いました。

まず彼氏が言っていたように、構造が非常に巧みです。

我々にはなかなか容易に理解し得ないドン・ファンの世界観を4つのステップ(象限)にわけて解説してくれるのですが、その分け方・順の追い方がとても良かったのではないかなと思います。

その章立ては以下の通り。

I カラスの予言―人間主義の彼岸

II 「世界を止める」―<明晰の罠>からの解放

III 「統禦された愚」―意思を意思する

IV 「心のある道」―<意味への疎外>からの解放

(目次より)

この章立てにより、

”我々が通常縛られている人間世界から一度飛翔する”

という行為の後に、ともすればそのまま行方を見失ってしまいそうになるところを、

”再び地上に舞い戻り「美しい道をしずかに歩む」”

という着地点・行く先まで指し示すことに成功している点が巧みだナァと思います。

ドン・ファン自身が自分の生を通して実践していることなので、まあ当然と言えばそうなのかもしれませんが…

 

また文章の構造そのもの以上に、私は著者が、これだけの構造を生み出すに至るまでにどれだけの研究を積み、どれだけの解釈を試みたのだろうかという部分に想いを馳せてしまいました。

ドン・ファンカスタネダの四部作に対して、一つの分析対象という認識を超えて、おそらく大変真摯に、あたたかく向き合っているのを(僭越ながら)感じます。

私は文学徒だからこう認識してしまうのかもしれませんが、なんというか、「文学的なあたたかな知性」みたいなものにあふれているような…

途中から文学作品の分析を読んでいるような心持でいました。

理性の点だけでなく感性の点でも、大変頭の良い人だなぁ、と。

 

私も斯様な分析を、百分の一くらいでもできるようになりたいものです。

 

以上真木悠介著『気流の鳴る音』の感想でした。 

知性が詰まった本で、学問へのやる気がギュンと増しますね。

がんばります。

いやはや、これを浪人中に読んで感銘受けてた彼氏のかしこさよ...

 

タチバナ

ドン・ファンの教え (新装版)

ドン・ファンの教え (新装版)

 
気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

 

 

大都会で古本を求め歩いたはなし

 

少し間があいてしまいました。

こんにちは、ただいま夏休み真っ盛り、実家に戻っておりますタチバナです。

ここ1年ほどで体重がかなり減ってしまったためか、両親や親戚から「もっとご飯食べなさい」「2㎏増えるまで実家にいなさい」などお叱りの言葉をいただきまして、毎日あれもこれもとおいしいご飯をたくさん食べさせてもらっています。

ありがたいおはなしです。

 

渋谷大古本市

さて、今日は東京で古本市に行ったお話をしたいと思います。

 

つい先日まで、私は所用のため大都会東京におりました。

私としてはあまり愉快でない用事のために東京滞在を余儀なくされていたのですが、おかげさまで東京に住んでいる恋人や友人に会うことができ、さらに古本市に行くこともできたので、まあ悪くはない数日間でした。

 

私が行った古本市というのは第27回 東急百貨店東横店 渋谷大古本市というもの。

渋谷駅すぐの東急百貨店の一角にて、8月の7日から14日まで開催されていました。


私が購入したのは岩波文庫が6冊。

計850円程度だったと思います。

※なおお恥ずかしながら、私は決して古本上級者ではなく、本の初版云々にはさしてこだわりがありません。単純に「新品で本を買えない貧乏学生だから」古本を買い求めております...

 

その中でも特に気になっているのが、アンリ・バルビュスの『クラルテ』

実はタイトルも著者名も聞いたことすらなかったのですが、なんとなく私の卒業論文に遠くで絡まるような気がしてぱっと買ってしまいました。

前情報や先入観一切なしの状態で本を一冊ぽんと買えるのは古本だからこそですね。

普段はお財布の事情で綿密な選別が必要になってしまいがちなので...

 

同じくニーチェ『悲劇の誕生』も、「卒論のために多少勉強しなきゃな~」と思って購入しましたが、一緒にいた彼氏に

「いやあんたニーチェ単体で勉強してもしゃーないで、その時代や周辺図を理解せな」

とご指摘をいただきました。まあそうですよねぇ。

道のりは長そうです。


ちなみに同行していた彼氏は『哲学・論理用語辞典』『東西哲学思想辞典』という大変いかつい古書を購入していました。

哲学科卒らしいチョイスで良いですね。

家に帰るなり楽しそうに辞典を頭から読み始めていました。

 

ブックオフのセール

ブックオフのセールにも行って参りました。

「や、ブックオフなんか全国どこでもあるやろ(笑)」

と思われるかもしれませんが、なかなかそうでもないんですよね。

少なくとも私が下宿している地域からはなかなかアクセスが難しいんです。

ですので今回東京訪問に際して必ずブックオフに行こうと決めておりました。

かもたまたま全品20%オフのセールが重なったのでハッピーです。

 

購入したのは全部で5冊。

例によって岩波文庫3冊と、評判は聞いていたものの未読だった歴史書(?)の上下巻です。

 

この中で特に楽しみにしているのはアンドレ・ジッドの『背徳者』。 

ジッドは中学生の頃『狭き門』を読んだのが大変印象にのこっていまして、そのつながりで今回この作品手を伸ばしました。

わくわくです。

 

このときは5冊で1300円程度だったと思います。

ちなみに彼氏は8000円分ほど哲学や歴史のむつかしそうな本を買い込んでいました。

 

 

…というわけで、文庫とはいえ東京で11冊も古本を買い込んでしまいました。

これだけの本を抱えて帰省するのは、重量的に失敗だったなと思いました。重かったです…

 

これから実家でのんびり読みすすめまして、またこちらの日記にレビューを上げようかと思っております。

 

タチバナ