はじめて担当教授の論文を読みました
期末レポート:詩の和訳と分析
私の所属するゼミでは毎年春学期、学生が各自外国語で書かれた詩を1つずつ選び、それを和訳・解釈してレポートにまとめるというのが慣例になっています。
最終的には年度末に編纂されるゼミ論集に掲載され、以後長年にわたり大学にストックされるものですので、そこそこ大事なレポートです。
今年度のレポート提出〆切は1週間後。
いまはこれに向け、頭をぎゅるんぎゅるんにひねっております。
すでに和訳はおおむね仕上がっているのですが、問題はその解釈。
文学専攻の醍醐味ですねぇ.…!
ゼミ内で唯一院進を目指している身として、なんとしてでもクオリティの高い分析を繰り広げたいところです。
それに、私の選んだ詩は私の卒論に直結するものなんです。
卒論ではある女流詩人の詩をいくつか抽出してごりごりにモチーフ分析する予定なんですが、そのうちの一篇が今回のレポートで扱う詩なんですね。
意地でもよい分析をして「さすがだね~!」って言われたい!
お恥ずかしながら、これまで日本語の論文をちゃんと読んだことがありませんでした
そんなやる気満々の私に、教授が薄い冊子をくれました。
教授ご自身が書かれた論文の抜き刷りです。
テーマは「○○の詩にみられる”△△”の語句をめぐって」というようなものでした。
(○○は詩人の名前、△△は外国語の単語です)
詩のモチーフ批評。まさに私の卒論の方向性と合致します。
そして今学期のレポートにも間違いなく役立つ。
これは読むしかない、ということで、昨日はかなり気合を入れてこの論文を読み込んでいました。
実は私、日本語の論文をちゃんと読むのはこれが初めて。
自分のレポートをそれっぽくするためにつまみ食い程度の参照をしたことや、留学中課題としてムツカシイ理論の論文(英語)を吐くほど読まされたことはあったにはありましたが、日本語で1本、最初から最後まですべて目を通すという経験は今までありませんでした。
大変お恥ずかしい限りですが、初論文、学問してる感があって嬉しくなっちゃいますね。
「言い切り」
教授の書かれた論文を読んで最も印象に残ったのは、「言い切り」の鮮やかさでした。
詩や文学作品を読んで、直観的に「あっ!これはこういうことだ!」と閃くというのは少なからずみんなある経験でしょう。
でもそれはどんなに言葉を尽くして論理を追って説明したとしても、文学というものの性質上、必ずしも疑う余地のない「絶対」にはなれないんじゃないかと思います。
とはいえ、A→B→C…と順を追って論を進めていく中で、
「もしかしたら違う解釈もあるかもだけれどおそらくAです。そうすると確証はないですがBが成り立ちます。となると邪推かもしれないですがCがあり得ます」
なんて書くわけにもいきません。
筆者がやたら自身無さげな文って、読者もどうしたらいいかわかんなくなっちゃいますし。
ここで鍵になってくるのが「言い切り」だと感じました。
それはつまり、
- その作品に携わるひとりのプロとして、読者を導く意思を持つこと。
- 論拠を丁寧に(丁寧すぎるくらいに)並べた上で、自信をもって言い切りをすること。
- 自分があくまで主観と独自のコンテクストを持つ1人の読者に過ぎないことを自覚し、「どこからどう見ても完璧な論理立て」という幻想にこだわり過ぎないこと。
こういうことじゃないかなと。
や、わかんないですけどね、この記事3か月後とかに読み返したら恥ずかしすぎて頭抱えそう。
「こいつあほかよ~~~~!!!」ってなってそう。
でもまあとりあえず、今の私の所感としてはこんなかんじです。
レポート、がんばります。