アカデミアへのあこがれと留学と挫折のはなし
就活をわざわざ経た上でなぜ院試を選ぶに至ったのかという話をしたいと思います。
もともと私は高校生の時分から、「院まで行って学問をしたい」と言っていました。
これは決して高尚な志うんぬんの話ではなく、女子高生のふんわりとしたアカデミアへのあこがれ程度の話です。
とはいえあこがれというのは強いものでして、それを追って私はなんだかんだ世間的にはいわゆる有名大学と呼ばれるところへ入学し、たのしそうな授業おもしろそうな授業なんだか教授がスゴそうな授業を気の赴くままに選択しては、学問のキラキラした部分を見つめ感嘆のため息をつく、というような大学時代を送ってきました。
私にとっての学問って、ある種のエンターテイメントだったんですよね。
それを崩したのが留学でした。
以前の記事で私は「大学4年生」と自己紹介した気がしますが、実は大学への在籍は5年目。
約10か月程度海外の大学に交換留学していたため、在学期間が延びています。
そしてこの留学、地獄でした。毎日ド鬱で泣いてばかりいました。
まず授業がキツイ。それまでずっと「優等生」としてやってきた私には耐えられないような屈辱と挫折でした。
それから、ディスカッションやレポート、エッセイなど自分の意見を構築することを求められることがものすごく多くて、これが大変苦手でした。
私、それまで日本では、教授たちのすごいお話をワァ~~♡と聞いて、それをもとにふんわり自分の身の回りのことに置き換えてみたり、自分の心の引き出しに綺麗にしまって、ときどき取り出してニヤニヤしながら眺めたり、ほんとにその程度しかしてこなかったんですよね。
でもそれは留学先では通用しなかった。
授業に出席するたび「この論文はみんな理解してると思うけど、それを踏まえてあなたはどう思うの?」とディスカッションを求められるし、期末のレポートもまた然り。
別にこれって日本においてもそこまで珍しい形式ではないと思うんですが、少なくとも私には、このタイプのディスカッションを授業毎にしたり、このタイプのレポートを1つの学期に3本も4本も書くのは初めてでした。
たいへん、しんどかった。
そんな地獄のような留学を通して、私は何より学問に向き合うことの厳しさに絶望してしまいました。
それまでは「学問が好きだから院に行く」と迷いなく思っていたのですが、それはあくまで学問をエンターテイメントとして消費する側の目線。
一方で「院に行く」ということは、
学問に向き合い、地道きわまりない作業を繰り返し、ほんのちょっとだけ他人と差異化された自分の意見を構築し、学問のわずかな1歩に貢献する、
すなわち「学問を積み上げていく側になること」だと思います。
私は留学中にその厳しさを目の当たりにし、挫けてしまいました。
外国語文献を読むのがしんどい。
自分の意見を構築するのがしんどい。
明確に文章にまとめるのがしんどい。
「あれ、私これ院行くなんて無理じゃない??私、怠惰だしついでに頭悪くない??」
日本に帰ったらちゃんと就活をしよう、と思いました。
しかし結局、泥沼化した就活の末に、私は院進学を選びました。
(院試に受かればの話ですが...)
就活して内定をもらってたくさん悩む中で、
「結局人間どの道を選んで必ずしんどい思いをするわけだし、
『何がしんどくて何がしんどくないか』よりも
『どういうしんどさの中で生きることを選ぶのか』の方がよっぽど大事なのでは?」
と思うに至り、そこでやっぱり私は、
「学問のしんどさの中でもう少しがんばってみたいし、がんばらなきゃいけない」
と感じたためです。
それに、私の将来の夢、「知性と品のあふれるおばあちゃん」なんです。
それなら院かな、と。
院に行って、知性と品の畑を作る。野菜や花の育て方を学ぶ。
それから普通に就職することになっても、家庭菜園をもりもり続けていけるような土壌を作りたいな、と思っています。
がんばらなきゃなぁ。
キラキラ優秀院生目指します。
はじめて担当教授の論文を読みました
期末レポート:詩の和訳と分析
私の所属するゼミでは毎年春学期、学生が各自外国語で書かれた詩を1つずつ選び、それを和訳・解釈してレポートにまとめるというのが慣例になっています。
最終的には年度末に編纂されるゼミ論集に掲載され、以後長年にわたり大学にストックされるものですので、そこそこ大事なレポートです。
今年度のレポート提出〆切は1週間後。
いまはこれに向け、頭をぎゅるんぎゅるんにひねっております。
すでに和訳はおおむね仕上がっているのですが、問題はその解釈。
文学専攻の醍醐味ですねぇ.…!
ゼミ内で唯一院進を目指している身として、なんとしてでもクオリティの高い分析を繰り広げたいところです。
それに、私の選んだ詩は私の卒論に直結するものなんです。
卒論ではある女流詩人の詩をいくつか抽出してごりごりにモチーフ分析する予定なんですが、そのうちの一篇が今回のレポートで扱う詩なんですね。
意地でもよい分析をして「さすがだね~!」って言われたい!
お恥ずかしながら、これまで日本語の論文をちゃんと読んだことがありませんでした
そんなやる気満々の私に、教授が薄い冊子をくれました。
教授ご自身が書かれた論文の抜き刷りです。
テーマは「○○の詩にみられる”△△”の語句をめぐって」というようなものでした。
(○○は詩人の名前、△△は外国語の単語です)
詩のモチーフ批評。まさに私の卒論の方向性と合致します。
そして今学期のレポートにも間違いなく役立つ。
これは読むしかない、ということで、昨日はかなり気合を入れてこの論文を読み込んでいました。
実は私、日本語の論文をちゃんと読むのはこれが初めて。
自分のレポートをそれっぽくするためにつまみ食い程度の参照をしたことや、留学中課題としてムツカシイ理論の論文(英語)を吐くほど読まされたことはあったにはありましたが、日本語で1本、最初から最後まですべて目を通すという経験は今までありませんでした。
大変お恥ずかしい限りですが、初論文、学問してる感があって嬉しくなっちゃいますね。
「言い切り」
教授の書かれた論文を読んで最も印象に残ったのは、「言い切り」の鮮やかさでした。
詩や文学作品を読んで、直観的に「あっ!これはこういうことだ!」と閃くというのは少なからずみんなある経験でしょう。
でもそれはどんなに言葉を尽くして論理を追って説明したとしても、文学というものの性質上、必ずしも疑う余地のない「絶対」にはなれないんじゃないかと思います。
とはいえ、A→B→C…と順を追って論を進めていく中で、
「もしかしたら違う解釈もあるかもだけれどおそらくAです。そうすると確証はないですがBが成り立ちます。となると邪推かもしれないですがCがあり得ます」
なんて書くわけにもいきません。
筆者がやたら自身無さげな文って、読者もどうしたらいいかわかんなくなっちゃいますし。
ここで鍵になってくるのが「言い切り」だと感じました。
それはつまり、
- その作品に携わるひとりのプロとして、読者を導く意思を持つこと。
- 論拠を丁寧に(丁寧すぎるくらいに)並べた上で、自信をもって言い切りをすること。
- 自分があくまで主観と独自のコンテクストを持つ1人の読者に過ぎないことを自覚し、「どこからどう見ても完璧な論理立て」という幻想にこだわり過ぎないこと。
こういうことじゃないかなと。
や、わかんないですけどね、この記事3か月後とかに読み返したら恥ずかしすぎて頭抱えそう。
「こいつあほかよ~~~~!!!」ってなってそう。
でもまあとりあえず、今の私の所感としてはこんなかんじです。
レポート、がんばります。
内定を放り投げ、文系院進を決めるにあたって
つい昨日、内定を辞退しました。
私タチバナは、現在ぴちぴちの大学4年生。
ですのでここ数か月間はずっと、人並みに汗と涙を流しながら就活前線に立っておりました。
泣き虫なので涙の量は人並み以上だったかもしれません。
最終面接を5,6社連続で落とされたり、
6月半ばで持ち駒を全て失ったり、
全てが嫌になって香港に逃亡したり、
熱中症により面接で日本語がまともに話せなくなったり、
グランフロントの前で号泣したり…
想像の数倍苦戦を強いられながらようやっと、7月頭に初めての内定をいただきました。
どの質問にもまっすぐに、正直に答えた末にいただいた内定ですので、それまで否定され続けた自分を拾い上げてもらえたようで本当にうれしかったのを覚えています。
しかしその貴重な貴重な内定を、昨日辞退してしまいました。
辞退するにあたっては大変悩みましたし、なんなら就活中以上に泣いたかもしれません。
せっかくもらった内定ですし、文系院進なんかしたら今以上に就活が難しいことになりそうですし。
でもやっぱり、就活をしながら芽生えた
「もう少し学問をやりたいな」「いま専門にしている文学をもっと掘り下げたいな」
という気持ちを捨て切ることができませんでした。
気付きたくなかったのに気付いてしまったこと
世の学生の大半はみんな、就活を通していろいろな会社や人に会って、
「自分はあの業界が向いてるな」
「こういう仕事をしてみたいな」
「あの人みたいになりたいな」
「この会社だいすき!」
とか、そういうものが多少なりとも醸成された末に就職されていくんだと思います。
私もそれを目指していました。
しかし何を間違ったのか、私はその過程で、
「私はじっくり考えるのが好きだな」
「文学がやりたいな」
「教授みたいになりたいな」
「大学だいすき!」
になってしまった。何この欠陥??
「就職しなきゃ内定取らなきゃ」という焦りとは裏腹に、
私はどんどん”就職に適さない”自分の本心みたいなものを目の当たりにするようになりました。
最終的に、私はいただいた内々定をお返しし、文学で院を目指すことに決めました。
決め手となったのは、
「私がもしスーパーリッチな家庭の生まれだったら、たとえ手元に国家公務員の内定が有ろうと外銀の内定が有ろうと総合商社の内定が有ろうと某京海上日動の内定が有ろうと、絶対に院に進むだろうな」
とふと思ったことでした。
私の実家は決してスーパーリッチとは言えませんが、それでも文系(しかも文学)院進学というハイリスクの極みのような選択を力強く応援してくれる両親がいます。
もう迷う理由はないんじゃないかな、と思いました。
むしろ両親が「やりたいことやれよ」と応援してくれてるのに、私が勝手に「や、両親に悪いから…」ってやりたいことを諦めたらもう誰も得しない説ありますもんね。
今後のこととこの日記のこと
就活にかまけている間に、夏の院試の申込期間はとうに過ぎ去っていました。
ですので私が受けるのは冬の院試です。
落ちたら一発人生が詰みかねない冬の院試です。フゥ~~~~!
これからいっぱい勉強しなきゃなと思います。
本読んで、語学やって、それからできるだけクオリティ高い卒論書いて…
…とはいえ実はまだ私、まずどこの大学院を受けるのかすら定かではないようなフワッフワの状態です。
まずはそこからですね。進路、スーパー曖昧模糊。
この日記は、そんな頭の緩い大学生たる私タチバナが院試にむかってがんばり、それがうまくいけばその後は文系院生として研究とお勉強ををしていく様子を綴るものです。
お暇でしたらお付き合いくださいませ。